衣は脱いで火にくべ、喜鵲鳥神を山に送り返す。
二十九日は殺牛山に行って山羊を殺して祀りを行い、その日の午後、この一年のタイマツ祭りのドラ踊りの儀礼を終了する。
ドラ踊りの文化をその意味
イ族ロウ系統のドラ踊りは、旧六月二十四日のタイマツ祭りの中で形成され、独特の伝続行事の形式を有している。その由来は古く、長い年月の間衰退することもなく、その内容や行事次第は変化することなく今に伝えられており、当該民族の悠久の歴史がそこに秘められている。
まず第一番目に、それは火の神祭りで、喜鵲鳥娘を祀る行事と実原それは同一の神の祭祀である。
昔々の狩猟時代、喜鵲鳥娘の勇敢な身投げによってこの民族は存続してきたのである。このことは当時弱小民族であったイ族ロウ系統の者たちにとってどんなに重要な意味を持っていたのだろうか。つまりこの女性英雄がこの民族を救済したのである。彼らはこぞって喜鵲鳥娘を最高神、民族を救った霊魂とみなしている。それゆえに彼女は崇拝され敬い奉られているのである。その悲壮な献身的な行動は民族の者たちに代々言い伝えられ、当該民族の英雄物語として語り継がれているのである。と同時にロウの娘が火の海へ身を投じ喜鵲鳥に化したということ自体神話性を有しているのである、この喜鵲鳥娘はロウの娘の英霊の化身であり、喜鵲鳥に対して一種特別の崇拝観が付着している。山で狩猟をする時、喜鵲鳥を見かけても決してそれを追い捕らえたり殺したりしてはいけない。喜鵲鳥が家の周りにやって来るとロウの者たちはそれを親切にもてなし、喜鵲鳥の声が聞えると何か幸せがやって来るような予感を覚えるのである。彼らは喜鵲鳥を幸福の鳥とみなし、今日イ族女性の用いる服装はその多くが喜鵲鳥にならったもので、黒色を基調とし、黄、白、赤の花模様でふちどった飾りを付けている。このように古い昔からの伝説と現在使用している服装とが立体的にロウの者たちの英雄女性を再現しているのであり、当該民族の生活の中に彼女が永遠に生き続けているわけである。喜鵲娘を当該民族創世の英雄祖先、民族の流とみなして敬い奉り、民族のトーテミズムとしてきたのである。
また行事全体の中に仮年比寨(牛の引き倒し競技)が行われているが、これはまさに「昔葛天氏の遊びに、三人で牛の尾を操し、八番の歌を以て、報い酬の多からんことを歌う。一に民満ち、二にツバクラ、三に草木をたすけ、四に五谷を奮い立たせ、五に天が恒久ならんことを敬い、六に帝の功を建て、七に帝の徳に頼り、八に全ての鳥獣の極み」と同様の功利目的を有している。牛の引き倒し競争の実際的な効用は、神和め、人々の娯楽である。
火の神はイ族の生活の中で大変重要な意味を持っている。人類が火を用いて以後ニス・ロウ人の生活領域を大巾に広げた。原始採集狩猟から焼畑農耕に至り(焼畑にソバを耕作した)日常生活の中で火を用いることから、火葬を行うに至るとともに(火の使用から絶えざる繁栄発展が得られた)、火に対する崇拝禁忌が火のトーテミズム崇拝へと発展した。この過程はタイマツ祭りの喜鵲鳥娘が民族の命を救うために身を投じ幻と化して再現した姿を映し出している。いわば火の中で幻と化し、火の中にそれが永遠に生き続けているということである。当該民族の者たちは女神を崇拝し彼女を至高の神と崇めている。このことが「神とは人間のイメージに似せて創り出されたものである」に相当する。彼女が部族救済に功を立てたことに対して人々は感謝をし、これを追慕しているのである。そして天界の雲が絶えず民族の全ての者に対してその興隆簑栄を見守りいざなっていることを期待している。その崇拝の念の中には追慕の気持と損じみの感情が満ちている。同時に彼女は同族の者たちに大きな願望を現前させ、希望の光をもたらしてくれた。
二番目に、自然崇拝としての祭祀内容についてである。太古の昔人物はただ原始的な自然条件に随って生存していたので、万物に霊魂が宿るという観念が生じたわけである。この世界には多くの神々によって支配されてい
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